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シリーズ 【Vol.14】
【Vol.14】
気づきから行動へのステップ
気づいたときがチャンス
人はだれも、大人になるにつれて頭も心も性格もすべて複雑になってきます。人間としての生命を授かったときには、まったくの自然体で、すべてが素直でした。そのゼロの状態と比較して差が生じた分、頭や心や性格が歪んでしまったと言えます。人間が抱える問題のすべては、この歪みから生じています。
たとえば、性格一つとっても、
「すぐ感情的になって、人に誤解されたり嫌われたりする」
「飽きっぽい性格のため、何をしても長続きしない」
「消極的で、いつも他人の目ばかり気にして神経を使っている」
といったように、探せば自分の性格の嫌な点の一つや二つは挙げることができるかもしれません。
同じように、自分を冷静に、客観的に見つめてみれば、頭の中の考え方にも、心の中にも、少なからず歪んでしまった自分がいることに気づくことができるかもしれません。そして、歪んだ自分、逆に言えば〝素直〟でなくなった自分がいるために、抱えなくてもよい種々の問題に悩み、人生を苦しくしているのです。
そうなった原因は、前回までに述べたように「自然の法則」に反した生き方、つまり不自然な生き方をしてきたことにあります。自分の育った環境が悪いとか、運に恵まれなかったとか、経済的に恵まれていなかったとか、目先の理由はいろいろ挙げられますが、それは単なる現象面にしか過ぎず、すべては不自然な生き方に起因しています。
しかし、このことにさえ気づけば、自分を変えるための糸口はつかんだようなものです。人間が本来の姿で生きる「自然な生き方」を取り戻せばよいのです。そうすれば、無限の可能性を持つ生命エネルギーによって、いま自分自身が持っている不自然な歪みは消えてしまい、素直で喜びに満ちた人間力を発揮することができるようになります。
そうなれば、いま現在、あなたが持っている経験と知恵は、生命エネルギーによって、いまよりもはるかに活かせるようになります。魅力的な人間に変わることができ、人生の可能性もさらに広がってくるようになります。
そのことに気づくのが、たとえ50歳であっても70歳であっても、遅すぎるということはありません。なぜなら、人生とは残された時間ではなく、いま生きているこの瞬間が人生そのものだからです。
よく、「もう歳だから、いまさら自分を変えることはできないよ」という人がいますが、そんなことはありません。たとえ余生であっても、生きている間に、本当の人間に「成って」、その幸福を味わうべきなのです。「思い立ったが吉日」という言葉があるように、自分で気づいたときが、その人にとって一番のチャンスなのです。
ただ、ここで忘れてはならないことは、自分に気づくだけでは人生は変わらないということです。気づくということは、同時に行うということです。行動を伴わない気づきは、単に新しい知識を得たに過ぎません。さらに言えば、行動してもその成果が上がらなければ、これもまた意味のないことです。
そこで問われるのが、「どうすれば、自然の法則にそった生き方ができるようになるのか」ということです。これから、その具体的な方法について述べていきます。

対処療法では何も変わらない

自分を変えたいと思ったとき、そのために取る方法はいくつか考えられます。よく見られるケースから紹介してみましょう。
一番多いのは、これまでの自分を反省して、「もう同じことをするのはやめよう。自分の至らぬ点を直さなければ」と思い、自分の考え方や行動の仕方を、自分の意志で修正しようとすることです。自分をコントロールできないから悩んでいるのに、それを自分の意志で何とかなると思い込んでいる人にありがちな発想です。
出発点が間違っている場合は、どんなに頑張っても解決不可能なのですが、そのことに気づかず、何度も同じ失敗を繰り返し、悩んだあげく友人や知人に相談することが多い人によく見られるケースです。
次に多く見られるのは、人生書や自己啓発書、さらには別の次元から送られたとされるメッセージを著した書物を探すことです。最近、この種の本の出版が急増していますが、それだけ悩みを抱えている人が増えてきている証拠でもあるでしょう。本を読むということは、知識やヒントを得るという点では役にたちます。ただ問題は、そのことだけで気持ちがスッキリして、自分が一歩前進した気になってしまうことです。
「この本を読んで勉強になった。刺激が得られて気持ちがスッキリした」といったように、本を読むことが精神安定剤になってしまい、それである程度の自己満足が得られるため、肝心の行動することがおろそかになってしまうのです。
これらの方法は、いずれも頭の中の作業で自分を変えようとするもので、行動を伴わないため、どんなに努力しても実現不可能であることはいうまでもありません。ただ、本人は気づいていないため、自分なりの努力をしている気になってしまうのです。自分を変えたいと思っている人の大半は、このように行動する以前の段階で立ち止まってしまい、試行錯誤を繰り返しているものです。
では、「何か行動を起こさなければ」と思った人は、どのような方法を選択するのでしょうか。
たとえば、行動範囲を変えることで自分を変えようとする人がいるとします。新しい趣味を始める、勉強会に参加するといった方法です。また、自分の能力を高めることで人生を変えようと考える人もいます。コミュニケーションの苦手な人は「話し方教室」に、仕事の能力を磨くことで自分が変わると考える人は「資格を取得する」といったケースです。この他の方法としては、転職をする、思い切って田舎に帰るといったように、置かれた環境を変えることで自分を変えようとする人もいます。
このような方法は、自分を刺激するということでは有効です。また、社会の中でより上手く生きるということでは必要な努力かも知れません。しかし、これらはいずれも、目の前にある問題を解決しようという問題解決の手法であり、自分自身を変えるということには至りません。
さらに進んで、自分自身を見つめる人はどうでしょうか。
一番多いのは、何といっても信仰の道に入ることです。これには二つの面からみて問題があります。一つは、代表的な宗派として仏教とキリスト教が挙げられますが、釈迦やキリストが人類救済者として説いた真実の教えが、残念ながら必ずしも正しく継承されていないことです。
宗教の現実については、これまで多くの識者たちが指摘してきたように、本来、人類の救済が使命であったのに、いつしか本尊をあがめ奉ったり、お葬式や結婚の行事を拡大することにどうしても懸命になってしまっています。でもこれは本末転倒です。
すべてがそうだとは言いきれませんが、総じて長く続いた組織は、伝統を守り、保守的になり、本来の目的から外れて形骸化していくことは否定しきれないのではないでしょうか。
もう一つの問題は、信仰する人の側にあります。たくさんの悩みを抱えて身動きが取れなくなり、迷ったあげく、宗教に頼れば何とかなりそうだと信仰の世界に逃げ込む人がまだまだ多いという現実があります。
宗教にすがり、宗教が助けてくれると思うのは、病気でいえば自分で治す気持ちを放棄したようなものです。信仰と言えば聞こえがよくても、自分を冷静に見直し努力することをあきらめ、現実の世界から自己逃避しているのと同じことなのです。
ただ、信仰は人々に安心を与え、心の支えを与えます。その意味では信仰を否定することはできませんが、あくまで受け身であり、現実社会の中で自分を変え、その成果を日常生活に活かすという、本当の意味での変化は期待できないでしょう。
この他の例としては、既成宗教のみならず、新興宗教や自己開発セミナーに身を委ねる人もいます。おそらく、迷いに迷った末に頼ったのでしょう。
このように見ていくと、自分を変えるために人々が行っている方法というのは、実にたくさんあるものだと感心させられます。おそらく、これをお読みの方の中にも、ここに上げたような方法のどれかで、自分を変えたいと努力したことがある人がいるかもしれません。
これらの方法は、〝自己啓発〟〝自己開発〟と呼ばれるものが多く、「本当の自分に〝成る〟」ということを目的にした方法は、残念ながら見当たりません。一時的な刺激により、表面的な変化をもたらせてくれるかも知れませんが、人間を根本から変えることはできないと言っていいでしょう。歪んだ自分を正常に戻し、その成果が実生活に答えとなってあらわれない限り、本物の方法とは言えないのです。
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