私たち人間は「生かされている」
もっと突きつめていけば、私たちがいま生きていられるのは、天行力を体内に取り入れているからこそと言えます。もし天行力がこの宇宙からなくなるようなことがあれば、人間をはじめとするあらゆる生きとし生けるものは、たちまち存在さえおぼつかなくなってしまいます。
いままで私たちが信じてきた常識観や科学とは相容れないものですから、にわかには信じがたいことかもしれません。
天行力という、自分以外の、外からの力によってはじめて私たちが生かされているということへの反発は、当然あるかもしれません。生きているのも自分の意志なら、幸・不幸を選んでいるのも自分なのだという自負をもつ人も、少なからずいることでしょう。
しかし人間は、本当に自分一人だけの力で生きているのでしょうか。
大自然に目を移したとき、そこにあるすべてのものは、互いが互いを支え合うという調和を保っていることを知ることができます。
太陽は休むことなく昇り、光のエネルギーを大地に、私たちに、惜しげもなく与えています。春が来れば夏が来て、秋、冬と季節は規則正しく繰り返し、大地を豊かに肥やすことで、生きる糧を私たちに与えています。
大気中の酸素、恵みの雨、生命の母なる海、惑星の公転・自転、どれひとつをとってみても、私たちには欠かすことができません。人間とてまた大自然の一部であり、その恩恵を受けなければ生きてはいけないことに、なんの変わりもありません。
考えてみれば、食物を噛んで、呑みこむところまでは意識的に行うことができますが、そこから先は、自分の身体、生命といえど、自分で意図して動かしているわけではありません。なのに、ちゃんと流れていくようになっています。白いご飯を食べたら真っ赤な血液に変わります。呼吸にしても、心臓の拍動にしても、生命の根幹を支える営みは、そのほとんどが無意識のうちに行われています。
極端に言えば、私たちは自然に放っておきさえすれば、順調に生きられるようになっているとも言えるのです。
この生命を支える、無意識の領域でなされているメカニズムの驚くべき精巧さは、最先端の科学でも、未だほとんど説明されないほどの奇跡の連続とも言えるでしょう。

自分一人だけの力で生きているとどんなに思ったところで、私たちは、大自然の調和されたリズム、法則があってはじめて生かされている存在でしかありません。生きるに必要なものは、大自然がすべて与えてくれていたのです。
ただ私たちがそのことに気づかないのは、生まれる前からあるものを当たり前と思い込み、「与えられている」とは思い至らないからなのです。
その事実を考えたとき、まだ大部分の人類が気づいていない恩恵が、この宇宙には相当あるはずです。天行力もそのうちのひとつかもしれません。
目に見えないからといって、否定することはできません。現代に生きる私たちは、目に見えなくともたしかに存在するものがあることを知っています。たとえば大気中を飛び交う電波を直接目にすることはなくても、テレビやラジオなどの受信機を通して、それは私たちのもとに届けられています。今となっては、電波を否定する人はだれもいません。
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